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近年、草食系男子ブームだったり健康食ブームだったりで、ちょっと肩身の狭い思いをしていたであろう「お肉」。しかし2016年は、熟成肉・赤身肉・塊肉などなど……日本のグルメ界に空前の肉ブームが巻き起こりました!
それに伴って、肉を使った料理全般が見直される傾向に。特に海外の肉文化と融合した日本独自の肉料理は世界的にも注目の的となっています。
そんなわけで、今回は海外ルーツ、日本生まれの肉料理を5つご紹介。日本ならではの肉料理の捉え方にビックリしちゃうかも?!
「ミンチカツ」が訛って「メンチカツ」に!?
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「メンチカツ」の発祥の歴史は明治時代にまで遡ります。一般的には明治30年頃、浅草の洋食店「煉瓦亭」で「ミンスミートカツレツ」として販売されたのが起源とされていますが、実はもう一つ説があります。
昭和初期、兵庫県神戸市の「純神戸肉三ッ輪屋精肉店」が、東京の洋食店の「メンチボール(ミートボール)」をヒントに考案したという説です。
ちなみに、メンチカツの名前の由来についても、同じように関東と関西で別の説が存在しています。まず関東では、「ミンス=細かく刻んだ、ミート=肉、カツレツ=油で揚げた」がメンチカツに転じたと言われています。
しかし関西では、ミンチで作るカツなので「ミンチカツ」と名付けられていました。これが訛ってメンチカツになったという説も根強いです。結局、メンチカツの元祖はどちらなのか?!
今でも関東VS関西で争われているのですが、結論は出ていないようです。
「ジンギスカン」は日本人向けにアレンジされていた
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北海道を代表する郷土料理である「ジンギスカン」。マトン(成羊肉)やラム(仔羊肉)などの羊肉を使った焼肉の一種です。
起源については、俗説で「かつてモンゴル帝国を率いたジンギスカン(チンギス・カン)が遠征の陣中で兵士のために作らせた」と伝承されていますが、実際は違います。日本軍の旧満州への進出のタイミングで、カオヤンロウという羊肉料理から着想を得たものが日本人向けにアレンジされ、それが日本国内にも伝わったというのが正しいようです。
その後、昭和11年に東京都杉並区で「成吉思(じんぎす)荘」という最初のジンギスカン専門店が誕生しました。この頃、他の地域でも次々とジンギスカンの店はオープンし、今でも山形県蔵王温泉や岩手県遠野市などがそれぞれ、ジンギスカン鍋の発祥地と主張しているとか。
北海道にジンギスカンが普及したのは、第二次世界大戦後のこと。ジンギスカンの本場と言われているわりには、かなり遅い印象ですよね。
しかし、北海道は羊肉の産地としては大正時代から全国のシェア50%近くを占めていたためか、ジンギスカン=北海道のものという意識は強く、2004年にはジンギスカンが北海道遺産に名を連ねています。
お手軽ステーキとして始めた「サイコロステーキ」
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「サイコロステーキ」は、牛肉をサイコロ状にしたものを焼いたステーキのこと。ステーキ肉をサイコロ型に切ったものもあるにはありますが、ほとんどが、ミンチにした牛ハラミや牛脂などを混ぜ合わせて結着剤で固めてサイコロ状に成型した肉のことを指します。
くず肉を成形して安価なステーキとして出したのが始まりだとか、もともとはまかない料理だったとか説はいろいろ。
さらに発祥の地も諸説あり、有力なのは日本橋の兜町にある「バンボリーナ」、そして渋谷や池袋をはじめ全国でチェーン展開をしている「BIG SHEF」の二店。双方とも現在も「元祖」の看板を掲げ続けているようです。真相は謎のままではあるものの、どちらの店も高度経済成長期に、気軽に食べられるお手軽なステーキを提供し始めたことは事実。
きっと同じ思いをサイコロステーキに込めたに違いありません。
ゲン担ぎに欠かせない存在の「カツ丼」!
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受験や試合のゲン担ぎや、刑事ドラマの取り調べシーンには欠かせない存在の「カツ丼」。最も一般的なスタイルは「豚カツとタマネギを卵とじにしたもの」ですが、ウスターソースやデミグラスソース、醤油ダレなどバリエーションはさまざまです。
発祥については、高畠増太郎氏が料理研究留学先のドイツから帰国した後、早稲田大学前に店を構えて、大正2年に東京で開かれた料理発表会で披露したとされるのが最も古い説と言われています。
しかし、それ以外にも発祥に関しては諸説あり、早稲田高等学院生の学生・中西敬二郎氏が考案したという説、中西氏の考案したのはウスターソースのかつ丼であり卵とじのカツ丼が登場したのは大阪であるという説など、実はハッキリとした由来はわかっていないのです。明確な資料も現存していないため、日本の国民食ともいえるカツ丼の出生の秘密は、このまま謎のベールに包まれたままでしょう。
第二次世界大戦後の闇市から注目された「焼き肉」
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意外なことに、日本は古くから獣肉食の歴史の深い国です。この「焼き肉」という文化は、明治以前からすでに存在したようで、幕末開港期の横浜では牛肉を串に刺して焼いたものを売り歩く商売が成り立っていたとか。
しかし、明治時代に入ると、肉はもっぱらすき焼きや西洋料理で用いられたため、直火で肉を焼く調理法はあまり一般化しなかったのだとか。
焼き肉の存在が注目されたのは、物資がなかった第二次世界大戦後の闇市から。この時、それまで馴染みのなかった内臓類(ホルモン)を朝鮮・韓国からやってきた人たちが調理して販売し、瞬く間に大好評に。後にロースやカルビなどの肉も取り入れられて、現在の焼肉屋になっていったとする説が有力です。
その後、日本では肉をさらに美味しく食べるために、焼き肉のタレや無煙ロースターが開発されました。これらの登場により、今や焼き肉を伝来した韓国にそのスタイルが逆輸入されている模様。肉を焼くだけのシンプルな料理だからこそ、日本人がさまざまな知恵を注いだのは頷けますね。
いかがでしたか?なんだかんだ言って、日本人は肉料理が大好き。もしかしたら、今後も創意工夫を凝らして、新たな日本発の肉料理は発展し続けるのではないでしょうか。楽しみですね!
1979年生まれの熟女ライター。日大芸術学部放送学科卒業後、映像技術者・メーカー広報・WEBサイト編集長を経て、2015年よりフリーとして活動を始める。好きな食べ物はプリン体を含む食べもの全般。卵の黄身だけは世の中で唯一食べられない。
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